下町のえんぴつやさん

綴る作業をするたびに気づく、内向的なわたし。

第15話 きょうかんじたことがたくさんある

 

休日の今日。

 

 

いただいたお野菜でサラダを作った。

 

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大根、きゅうり、ラディッシュ、玉ねぎ。
自分で買ったのはたまごのみ。

 

 

 

 


新鮮であること。

それはもちろん美味しく感じる1つの理由だけど、

 

作った人の顔を思い浮かべながらいただくこと。

それ以上の理由はないような気がする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お昼には、

広江ままと一緒に高田東中の参観へ。

 

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「教師」という職業を志していた自分。

どんな先生になりたかったんやっけ。

 

 

 

 

 

黒板の前に立つ先生方をみて、うらやましいと思った。

 

ほんとうは、

あんな風になりたかったはずなのに。

 

 

 

教員時代、楽しいって思いながら

授業ができなかった日が続いた。

 

それが一番つらかった。

 

 

 

 

憧れが強すぎる志だったのかもしれないな。

 

 

 

 

 

 

 

 

広江ままは、

陸前高田の米崎小仮設に行くといつも

お世話になっている3児の母。

 

今日もずっと前から誘ってくれていて、

ランチの時にいろんな話をした。

 

 

 

 

 

 

共感してくれたり、

「うん、うん」って聞いてくれたり、

過去のことを笑い飛ばしてくれたり、

心地よかった。

 

 

 

 

あー、そっか。

 

仕事は楽しいし暮らしも慣れてきたけど、

心のどこかで「聞いてほしい」って

思ってたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そのあとは、

フォトジャーナリストの安田菜津紀さん講演会。

 

 

カンボジア・シリアでの取材を通して

なっちゃんが伝えたいと思ったこと。

 

 

 

 

 

小学生もいる中で

こどもたちがわかる言葉をつかって、

でも、

確実に伝わるように選ぶ言葉の1つ1つに

すごく引き込まれた。

 

 

 

"仕事"に対する姿勢に心が震えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしが初めて

カンボジアに行ったのは19歳のとき。

 

 


遅かれ早かれ、

カンボジアに行く夢は叶えていただろう。

 

けれど、今日、

彼女と一緒に行けたこと、

2012夏のメンバーと一緒に行けたこと、

それが重要だったんだと思った。

 

 

 

 

 

 

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あの時出会った"ココナッツおじさん"。
両足義足のおじさんは、

ひょいひょいと木登りして

ココナッツをとってくれた。

 


天然のポカリスエットと言われるくらい

栄養のあるココナッツを、惜しみもなく

外国から来たわたしたちにくれた。

 

 

 

 

 

 

カンボジアに行くまでの

地雷・貧困・スラム・内戦…

っていうイメージが

全部取り除かれたのは

ココナッツおじさんの笑顔をみたときだった。

 

 

 

 

と、同時に「なんで?」が残った。

 

 

 

もしわたしがおじさんの立場だったら、

多分、人に優しくできない。

多分、そんなに強く生きれない。

 

 

 

 

 

もやもやが晴れないまま月日は流れ、

なっちゃんのご縁のおかげで

陸前高田に通うようになった。

 

 

 

 

自然いっぱいの環境、

海の幸、

人々の笑顔。

 

   

 

 

 

 

陸前高田での時間は

カンボジアで感じた「なんで?」を

解消してくれた。

 

 

 

 

 

自分のものさしだけで

人の辛さや大変さを決めつけていた。

 

 

 

あの「なんで?」は、

 

 

「なんでこんな大変なのに…」の、

「なんで?」だった。

 

 

 

 

知らない間に

そんな人間になっていたことを恥ずかしく思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

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「うごく七夕まつり」に向けて

荒町祭組は準備が進んでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

「さえこはもう荒町の人間だ。」

 

とても、嬉しかった。

 

絶対たのしい夏にしようと決意した。

 

 

 

 

 

 

 

 

震災前ほど人が集まらない作業。

 

仕事終わりに集まる人たちの

疲れが目に見えてわかる。

 

ため息をつきながらやることもある。

 

 

 

わたしは震災前を知ることはできない。

 

 

 

 

 

 

でも、

 

 

七夕が大好きな人たちを知っているし、

その人たちのことが、わたしは大好きだ。

 

 

出会うことができて

本当に幸せだ。

 

 

 

もう少しがんばれないか、自分。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

長くなった。

 

でもわたしたち人間は、

いや、少なくともわたしは、実は、

1日でいっぱい考えている。

感じている。

 

 

 

 

 

 

 

そのこと1つ1つを

もうすこし大事にできないのかな。

 

 

 

 

 

 

詩を書くのはそのせいだ。

 

 

 

詩とか書いてますっていうと、

 

「ポエマー的な?(笑)」

って、

(笑)がついた返事をもらうことがある。

 

 

一応笑って返してみたりしてる。

 

「あはは、あんまり読む機会ないですよね」

みたいな。

 

 

 

 

 

 

 

音楽とか美術全般とか詩とか、

お金の価値で比べるとぴんきりだけども、

 

ほんとうの価値はそこじゃないと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしが詩を書きたいと思う理由は

 

今日感じた
たくさんのことが
川の水のように流されていくのが
とてももったいないと思うから。

 

 

 

いままで出会って来た「あなた」のひとりひとりが、

わたしの詩をよむことで
ちょっと元気になったり
ちょっと嬉しくなったり
ちょっと考えてみたり。

 

 

そういう時間を創ることができたら、

それ以上のよろこびはないから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうだ、そうだ。

 

詩、書きたい。

 

 

 

 

 

 

 

今日感じたこと。

 

ほんとはまだまだあるけど、

このへんにしときます。

 

 

 

 

とりとめのない話を

とまることなく。

 

 

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「ベートーベン」

 

わたし、
ベートーベンとともだちになりたい

 

音楽室に飾られた あなた

 

三大ソナタを創った あなた

 

死んでしまったいまでも
"全世界に感動を与えている" あなた

 

あなたってすごいのね

 

でもねベートーベン
わたし、思うの

 

知らない人に
しかめっ面みられるの恥ずかしいよね
他の人と並ばされてさ

 

「悲愴」「月光」「熱情」
って名前がついたのよ あなたのソナタ
言葉どおりなのかしらね

 

聞きたいの
ほんとうのことを
ともだちになって聞きたいの

 

寄り添ってみたいの


あなたの世界に
わたし、はいりたいの

 

でもねベートーベン
わたし、わかってるの


ともだちにはなれないってことも
ほんとうのことを聞けないことも

 

ただあなたのソナタ
わたし、
とっても惹かれているの

 

ベートーベンは

わたし、と

ともだちになりたいかな