第10話 すまほのじゅうでんがきれた
第9話 みなづき
第8話 つつむ
第7話 はるになったので
桜が咲きました。
はるがきました。
さえこです。
1年を4つに区切って「春夏秋冬」。
2番目に好きな季節の、春。
好きな理由は
いのちのはじまりを目の当たりにできるから。
桜はもう散り始め、さんざん待たせておいて
儚く散っていくなんてずるいなあと毎年思います。
散る桜もまた美しい
だなんて
人間の心はうまい具合にできてる。
今日は、えほんのことを書きます。
わたしは、生まれも育ちも大阪で、
「田舎」なんてなかった。
ともだちが夏休みに
「いなか帰るねん。」
と言っていて、
鳥取とか鹿児島とか長野とか、
小学生の頃は、社会の教科書でしか触れられなかった土地に
ともだちは帰っていたわけです。
わたしは時々、大阪がキライになるときがあります。
大勢のひとがいて、
見渡す限り住宅が立ち並んでいて、
ひとびとは目の前を
わたしなんて存在しないかのように
交差していく。
別に知り合わなくたって生きていけるし、
知り合いたいというわけでもないけれど、
でも、どうしてこんなに冷たい気持ちになるんだろう
って不安な気持ちになります。
建物はコンクリートの塊で、
森や花みたいに
見ていて癒されるわけでもなく
ひとびとは、ただただ、急いでる。
息が詰まりそうになりながら、私も負けじと歩く。
せかせかと生きないと
置いてけぼりにされるような気がして
嫌々、せかせかしていました。
そんな中で、
「あさになったのでまどをあけますよ」
を改めて読みかえしました。
荒井良二さん作のえほんです。
うちには2冊あります。笑
もともと持っていたところを、
姉のように慕っている人がプレゼントしてくれました。
自然にかこまれた、いわゆる「田舎」に住む男の子。
ビルやマンションが立ち並ぶ「都会」に住む女の子。
川のちかくに住む兄弟。
木の下で過ごす女性。
彼らは、
それぞれの住む町の良いところをみて
「ここがすき」
と口を揃えて言います。
都会に住む女の子は
まちは やっぱり にぎやかで
みんな やっぱり いそいでる
だから わたしは ここがすき
と言います。
都会なんて、都会なんて、
と思っていたけど、
にぎやかすぎて、ひとが急いでて、
それがキライやけど、これが大阪やもんな。
と考え直して
ここがすき・・・かもしれない
と思えるようになりました。
みんなが急ぐから急いでいたけど
べつにゆっくりだって、前に進めればいい。
ひとが多すぎるくらいだけど
だから出会えた時の喜びが大きい。
季節は、春です。
ここの春を感じながら生きていきたいなと
改めて感じた今日でした。
ところで荒井良二さんの絵は
模写ができないぐらい、壮大です。
わたしも、わたしも、
誰にも真似っこできない絵を描きたい。
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はる。
不安と期待を、
別れのかなしみを、
出会いのよろこびを、
一輪の花につめこんで。
春。
第6話 りくぜんたかた
前回の投稿から1か月がたちました。
2016年も、10か月をきりましたね。
「月2回以上ブログ更新」を目標にした
2016年のはじまりが懐かしいです。
(と、自分を焦らせてみる。)
さえこです。
雨。つまり引きこもりDAY。
「旅行」というよりは「帰省」に近い…。
Because先週が7回目の訪問だったからです。
わたしの家族はみんな、
集合!という掛け声から5分後には
おばあちゃん家に全員集合できるぐらい
近くに住んでいます。
だから、昔から夏休みとか冬休みに
「おばあちゃん家かえるねん~」
っていう友達が羨ましくて仕方なかったのです。
初めて陸前高田にお邪魔させて頂いたのは
2013年8月、うごく七夕まつりをお手伝いしたときでした。
(写真は2014年8月。お手伝いさせて頂いている荒町祭組の山車)
ずーっと昔からの伝統行事で、
東日本大震災の影響もあって人手が足りないということでした。
関西でいうと「だんじり祭」に近く、
よそ者がだんじりの組に入ってわいわいやるのは
暗黙のルールでダメなのは知っていて…
地域が変わろうと、
そんな大切なお祭りに十数人が押し掛けて
本当に受け入れてくださるのだろうか
と、とても不安でした。
実際に陸前高田に到着すると、
テレビでみたのと同じ広い大地に圧倒され、
予想以上の暑さにやられながら、
街を歩きました。
歩きながら、おじちゃんやおばちゃんたちが
「ここには○○があったんだよ」
とか
「もうすぐおれの家があったところだ」
と教えてくれて。
街があったことを
想像しきれないぐらいまっさらな地平線でした。
「悲しみが覆った大地に
力強い太鼓の音が響き
優しい笛の音色がうたっていた」
そんな風に、日記には書いています。
結局、当日はわたしたちが一番
楽しんでいたように思います。
「楽しませてくれてありがとう。」
って言われるぐらいに。笑
それから、11月に再び訪れ、
翌年2014年にもお祭りを
お手伝いさせていただき、
認定NPO法人桜ライン311の植樹会へ行き、
またお祭りをお手伝いして…
としているうちに、
2016年3月11日がやってきました。
わたしは震災直後、
被災地を訪れる勇気がなくて
ボランティアじゃない立場で行きたい
なんて、何かと理由をつけて逃げていました。
震災がなければ、
あの街が被災しなければ、
わたしはそこに行くことがあったかどうか
わかりません。
きっかけは決して肯定できることではないですが、
それでもつながった人たちに
これからも会いに行きたい。
報道だけじゃなくて、
もっともっと現地の人たちの声を聞きたい。
陸前高田のいいとこを、色んな人に知ってほしい。
海の幸は、いつも食べきれないくらい
食べな!って出してくれる。
「ただいま」って言うと
「おかえり」と言ってくれる人がいて、
「帰ります」って言うと
「また帰っておいで」と言ってくれる人がいます。
泣きそうなぐらい
あたたかい人がたくさんいる街なのです。
海は青くて、
いのちの源なんだということを
教えてくれた場所なのです。
第5話 おんし
あめです。
昨日、すこしだけ春のにおいがしました。
あおっぽくて、
ちょっとしめっていて、
それでいてやわらかい、春のにおいがしました。
こんにちは。
最近
ひきこもり気味のさえこです。
必要最低限、外に出てない。
昨日は、5年ぶりに高校時代の恩師とあってきました。
高校3年生のとき、
そう、5年前です。(まじか、もうそんな経つのか。)
受験生でありながらも
お金もったいないし、ペースを乱されるのがきらいだったので
予備校に行っていませんでした。
そこで、学校の先生に講習を開いてもらって、
休み時間や放課後に勉強を教えてもらっていました。
昨日会った恩師は、
1,2年生で担任をしてくれた、
講習も開いてくれた、英語の先生でした。
当時は、怖いイメージを持っていましたが、
「俺のこの教員っていう仕事は、飯食うていくための手段や。」
と、言い張りつつも、生徒想いなのはなんとなく感じていて、
修学旅行のことや、使っていた教科書まで鮮明に覚えていました。
特に、生徒の名前をたくさん覚えていました。
本当に飯食うていくためだけに先生やってたら、
卒業した瞬間に忘れてしまうでしょうに。
わたしが教師を志し始めたのも、
恩師に「先生やってみーへんか?」と、
言われたのがきっかけでした。
それまで結構適当に将来の夢を語っていたのですが、
このときはじめて「先生ってたのしそう」って思いました。
それまでは
宇宙飛行士になりたかったし、
ピアノの先生にもなりたかった。
CAにもちょっと憧れてた。
でも、どれも現実味がなかったし、
実際、それに向けて努力なんてしてませんでした。
宇宙飛行士は結構真剣に目指していたんだけどな~、
数学ができなさすぎた…。
それからは、進路の部屋に行くことが多くなりました。
色んな資料が揃っていて面白かった。
英語をちゃんと勉強できて、
教員免許もとれるところ。
あと、雰囲気がいいところ。
で、大学を選んで、ここにします!って決めて、
卒業して、大学でいろいろ経験して、
こうして「フリーター」をしているわけですが、
先生は、すごく応援してくれました。
「俺が23歳のときは、まだ大学3回生やぞ~」
とかって言って。
(先生は2浪したらしい。)
先生が、先生になることをすすめてくれたので
どんな反応が返ってくるかドキドキしていたけど、
がんばっている姿をみせることが
何よりの恩返しになるのかなと思いました。
「卒業させた子らが、こうして会いに来てくれて
こんなんやってます!って言うのが、俺の自慢なんや。」
と帰り際に言っていたのが印象的。
やっぱり先生、生徒大好きやん、って思いました。笑
最近ひきこもり気味で
ほんとうに何も手につかない毎日です。
何かをがんばっている訳でもないけど、
何かをがんばりたいって全然思えない。
前まではこうなってしまうと焦っていたけど、
今はもう少し自分を待ってみようと思います。
あめがやんで
そとにでたら
またがんばれるかも
なんてね、自分に甘いね。笑
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2014年8月3日
絵を始めた「一日一絵」のいちまいめ。
下手っぴだけど、素直にかいてる。
いまはどうかな。
こんな風に、絵本をかきたい。
第4話 ぷれしゃす
今日は、高校で授業。
補講の日でした。
必要回数出席できなかった/しなかった生徒が
回数を満たすために、頑張って来てくれました。
・・・ひとりだけ。(笑)
「英語は中学レベルやし…」と言いつつも
わたしの話を聞いてくれて、
最後には「先生、わかりやすい!」
と言ってくれて、うはうはです。
めっっっちゃ嬉しかったです。♪
こんばんは、さえこです。
ただ、その生徒に
「でも先生、先生っぽくない!」
と言われてしまいました。
これは褒め言葉としてとらえます。
今日は夕方にも用事があると思っていたのが
勘違いでなくなった上に
ちょっとしんどかったので
家で映画をみました。
「プレシャス」という映画です。
容姿にコンプレックスをもった
黒人の女の子のおはなし。
母子家庭で生活保護を受給。
日々母から言葉の暴力を受けながら、
何かが変わることを望みつつ生活していました。
学力が低く、
授業にはついていけていない学校生活。
妊娠をきっかけに退学処分にさせられてしまいます。
そして、校長先生のアプローチによって、
あるフリースクールに通うことになります。
そこから学ぶこと・知ることに
喜びを感じるようになり、
以前よりも前向きに生きていく彼女が
どんどん笑顔になっていくのが印象的でした。
ただ、妊娠のきっかけが
実の父親のレイプでした。
このときまだ16歳の彼女が
既に一人出産していて、
のちにわかるHIVの感染だったり、
同性愛者の存在だったり。
DVを与えていた母親の心境。
ソーシャルワーカー目線の心境。
問題を抱えた子を担任する教師の心境…。
今の日本でも見て見ぬふりはできない問題が
たくさんつめこまれていて、
もやもやが残る映画でした。
この映画はアメリカが舞台でしたが、
日本も実は義務教育があるにも関わらず
識字率は100%ではありません。
一度、授業でマララさんの演説を
取り上げたことがあります。
その時
「識字率が低かったら、なんであかんのですか?
文字が読み書きできんかったら、何が困るんですか?」
と、
生徒から純粋にぶつけてくれた質問に
つまってしまいました。
そこでは
履歴書かかれへんし、
学校でもテスト受けられへんやん
ってことで納得してくれましたが
それが私の言いたかったことかどうか
今でもよくわかりません。
まだまだ、
知らない世界があるんだなーと
今日はぼーーーっと考える時間がありました。
しあわせだった。
この映画に出てくる先生のように
生徒をいとおしくみつめられる
余裕を持とうと思いました。
「プレシャス」
日本語で「宝物」という意味です。
自分の子どもでなくとも
子どもたちは宝物だとおもいます。
自分もまだまだ、子どもだけれど。
ラストにはこの題名の意味が
すっと理解できました。
とてもおすすめしたいですが、
暴力やよくない言葉が飛び交うので、
そういうの苦手な方はお控えください。
(わたしも苦手だけど)
明日はスクールに行って
ラフ画を完成させるぞ!おー!
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「ふゆのかぜ」
ちくちくささるふゆのかぜ
いたくないのよ
ちくちくするけど
わたしのほっぺはあかくなって
こころがほんのりふくらんで
ぽかぽかしてるの
かぜはふくけど
あなたがわたしをみているから
(絵はまだ描けておりません)